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コトリ・コ・トリコ

コトリ・コ・トリコ、強い鳥、そのころトリコは卵だった。

卵時代のトリコについて、記憶している者は少ない。

「そのカラあくまで堅く、どこまでも白かった」

年老いた文鳥仲間がそう伝えるに留まる。

堅く白い卵を前に、黄色いクチバシの兄たちは騒いでいた。

「トリコよ、トリコ、いつ出てくるの?」

卵の中でトリコは言った。

「俺のことには、構わないでくれ」

その答えを聞き、兄弟たちは知った。コトリ・コ・トリコ、卵の中でも強い鳥、トリコにとっては孤独に耐えることも、難しくはないのだと。

コトリ・コ・トリコ、強い鳥、トリコがツツくと、卵は割れた。

「トリコ、コトリ、コトリ・コ・トリコ、強い鳥、お誕生日おめでとう」

コトリ仲間の間では、卵から外へと出た瞬間が誕生の日だと定められている。

彼らは鳥であり、昔のことを忘れてしまう。卵時代の全ても、すべて忘れてしまうのである。

兄弟たちはトリコを祝福したが、トリコは自分の誕生に関心がなかった。

「俺のことには、構わないでくれ。俺は勝手に産まれ、勝手に死ぬつもりだ」

しかし、兄弟たちは何度もさえずった。

「トリコ、コトリ、コトリ・コ・トリコ、強い鳥、やっぱり誕生日おめでとう」

兄弟たちはコトリ・コ・トリコが強い鳥だと知っていた。

産まれついての強い鳥、コトリ・コ・トリコ、兄弟たちは、しかし、その産まれ持つ強さゆえの寂しさを、知ることがなかった。

コトリ・コ・トリコは強い鳥、そのころトリコはヒナだった。

小さいながらトリコの羽は、兄弟たちの五倍も速く動き、その身体は十倍も強かった。

ヒナドリのやわクチバシには違いなかった。しかし、その一突きは、鉄をも通す。

もしもそのころ、トンビが襲いかかってきていたならば、トリコは見事に打ち払っただろう。

黄色いクチバシのトリコを前にして、黄色いクチバシの兄たちは毎日唄う。

「トリコよ、トリコ、早くカゴから外に出て、ずっとずっと先まで飛んで、なにがあるのか教えておくれ」

「俺はカゴの中から、いつでも外へと出ることが出来る。問題はひとつ、それがいつであるかだ」

「トリコ、トリコ、それはいつ?」

さえずり続ける兄弟たちに、トリコは面倒そうにこう答えた。

「明日だ」

兄弟たちは物忘れがひどかった。明日が今日なると、兄弟たちはくりかえす。

「トリコよ、トリコ、早くカゴから外に出て、ずっとずっと先まで飛んで、なにがあるのか教えておくれ、それはいつ?」

トリコの答えも同じ、

「明日だ」

その一言であった。

アワタマがトリコの餌だった。時に餌には青菜が混じった。

アワタマの匂いのする鳥屋は、狭く暗かった。雛鳥のために温度管理もなされていたが、トリコにとってはどうでもいいことだった。

もしもそのころ、寒冷地帯に放り出されていたとしても、トリコは見事に生き抜いただろう。

やがてトリコは、ヒナとは呼べない程に成長した。

トリコの毛並みは短く揃い、フワフワだった。しかし、いまだトリコはカゴの中にいた。

「カゴの中からはいつでも出ることが出来る。問題はそれがいつであるかだ」

コトリ・コ・トリコ、強い鳥、文鳥として生まれたが、篭の中で一生をすごすつもりはなかった。

雛鳥時代の彼でさえ、カゴから外へと出るのは、難しいことではなかったのである。

まして成長した今となっては、カゴなどあってないようなものなのだ。

コトリ・コ・トリコ、強い鳥、文鳥として生まれたが、篭の中で一生をすごすつもりはない。そのクチバシは文鳥仲間の五倍もたくさんエサをついばむし、その足は十倍強く枝を握ることが出来る。

問題はひとつだけ、明日がいつであるのか、それだけだった。

小鳥は大事なことをすぐに忘れてしまう。トリコもまた小鳥であった。明日は今日の次にくるということを、コトリはすぐに忘れてしまう。明日はずっとこなかった。

世界で一番強い小鳥は、いまだカゴの中にいた。

曇りの日、鳥屋に一人の男がやってきた。ススキダエッちゃんの父親、ススキダユタカさんだった。

ススキダユタカさんは、鳥屋さんにいて、偶然ながらトリコの前に立った。二人の出会いはカゴごしだった。

ユタカさんは静かに、そして注意深く、トリコに聞いた。

「僕はエッちゃんのため強い小鳥を探してる。君の名前はなに? 雛鳥一に強いやつは誰?」

トリコはちらりとユタカさんを見ると、カゴの中から飛び出した。

ユタカさんは頬にピリっとした痛みを感じた。刻まれたのは弓形のキズ、血が流れ出る。

「おっさん、次は土手っ腹に穴が空くぜ」

トリコはすでに、カゴの中に戻っていた。

「素晴らしく強い! 君の名前はなに?」

ユタカさんは頬を抑えながら聞いた。

「コトリ・コ・トリコ」

「それではトリコ、僕の家まできておくれ」

「ここは狭いし、アワタマくさい。出てもいい」

「ありがとう、トリコ。僕は君の時間をしばらくもらおう。そうしてほんの少しの間、エッちゃんとともに暮らしておくれ。鳥屋のおじさん、トリコをください」

こうしてトリコの明日は、偶然ながらやってきた。ユタカさんはトリコを連れて家へと帰ったのである。

そのころ、ススキダエッちゃんは、なにものでもなかった。

ススキダエッちゃんは弱い人、人間として産まれたが、家の外で一生をすごすつもりなんてさらさない。この二年、外へと出たことがなかった。

時々エッちゃんは、家の中から外を見る。窓を通して外をみる。その日のエッちゃんも、やはり窓から外を見ていた。

窓の外に、頬を怪我したユタカさんが見えた。漆塗りのトリカゴにいるトリコも見えた。ドアが開き、世界一強い小鳥がやってきた。

家の中で、トリコは言った。

「どこもかしこも狭くて暗い」

コトリ・コ・トリコは強い鳥、彼にとって、世界はいつも暗くて狭い。産まれついての強い鳥、コトリ・コ・トリコ、その寂しさを、誰も知ることがなかった。

「エッちゃんよ、この雛鳥はコトリ・コ・トリコ。少しの間、トリコを君に預けよう。コトリ・コ・トリコは強い鳥、文鳥ながらも、そんじょそこらの大鳥に、遅れをとったことはない」

「はじめまして、コトリ・コ・トリコ。わたしはエッちゃん」

トリコはちらりとエッちゃんに目をやると、

「エッちゃんよ、俺をみくびると土手っ腹に穴が空くぜ」

これだけ伝え、眠ってしまった。

トリコは無口だったが、エッちゃんはトリコが大好きだった。トリコもエッちゃんが嫌いではなかった。二人は仲良しだったのである。

「コトリ・コ・トリコ、世界一、七色の鳥、強い鳥」

エッちゃんは毎日のように、デタラメの歌をトリコに聴かせた。トリコは文鳥だけに居眠りばかりだった。しかしエッちゃんは、その姿を眺めているだけでよかったのだ。

トリコはエッちゃんの歌が嫌いではなかった。エッちゃんの歌にあるように、確かにトリコは世界一の文鳥だった。

もしもそのころ、鷲がエッちゃんに襲いかかろうものなら、トリコは見事に追い返しただろう。トリコはエッちゃんが、嫌いではなかったのだ。

七色の鳥、強い鳥、コトリ・コ・トリコ。

エッちゃんはいつでもトリコと一緒にいた。エッちゃんはトリコが大好きだった。トリコが目覚めている時には、自分の知る限り全て、外の世界についても教えてあげた。

「この図鑑によれば、雲は白くて、空は青、地球は丸くて、宇宙はどこまでも広い。向こうのスーパーまでは徒歩四分、トリコ、オーケー?」

話しの終わりにはトリコはいつも眠りかけていた。だからトリコは、いつも居眠りまじりに答えた。

「オーケー」

エッちゃんは唄う。

「トリコよ、トリコ、これだけ教えてあげたのだから、いつかカゴから飛び立って、ずっとずっと先まで飛んで、なにがあるのか教えてね」

「俺はカゴの中からは、いつでも出ることが出来る。問題はそれがいつであるかだ」

「トリコ、トリコ、それはいつ?」

エッちゃんが唄い続けると、トリコは眠そうにこう答えた。

「明日だ」

エッちゃんは同じ歌を何度も唄い、トリコは何度もそれを聴いた。

エッちゃんは唄う。

「トリコ、トリコ、それはいつ?」

歌への返答はいつも決まっていた。

「明日だ」

エッちゃんは小鳥ではなく人間だ。トリコの明日を覚えていたが、それを彼女が唄うことはなかった。エッちゃんはトリコが大好きで、トリコもエッちゃんが嫌いではなかった。二人は仲良し、明日はこない。

「そのうち外へと出てみようかな、それとも止めておこうかな」

ある日、エッちゃんの歌が変わった。トリコはその歌も嫌いではなかった。

「トリコ、トリコ、それはいつ?」

「今だ」

トリコは眠そうに言った。

こうしてエッちゃんは外に出た。

弱い人ススキダエッちゃんに連れられて、世界一強いコトリが外に出た。トリカゴに入って外に出た。

一番に強いの文鳥であるトリコにとって、世界はいつも暗くて狭い。そして平凡だ。

しかし弱い人であるエッちゃんにとっては、世界は広く明るく神秘に満ち満ちている。

二人の散歩を邪魔するものは、トリコが全て返り討ちにした。

道ゆく人々、曇り空、あるいはエッちゃんの心の奥底に横たわる昔の出来事、それらの全てをトリコは返り討ちにしたのだ。

そのころのトリコの活躍を知るものは、エッちゃんしかいない。しかしそれについて、エッちゃんは多くを語ることが出来ない。

そのころなにが恐かったのか、今となってはもう思い出すことが出来ないのだ。

小鳥ほどではないにしろ、人間も忘れてしまう。語り部のいない物語りは、思い出されることもなく世界から失われてしまうのである。

二人は毎日一緒に外へ出た。その時々に発見したことを、エッちゃんは歩きながら、カゴの中のトリコに報告した。

「トリコ、これは驚きなことだけど、隣の隣の街にある薬屋さんまでゆくためには、電車にのって、バスにのり、少し歩かなければならない」

「トリコ、近所のトモちゃんが新しい帽子をかぶっていた。おばあちゃんが買ってくれるんだ。どうしておばあちゃんはトモちゃんがかわいくてならないのだろうか」

「トリコ、トリコ、世界は素晴らしい」

「わかっちゃないな、エッちゃんよ、俺は眠たい、寝かせてくれ」

ある夜、エッちゃんが眠り、トリコも眠っていた。ユタカさんは一人起きていて、トリコのトリカゴの前へとやってきた。

「トリコ、僕は君にお礼を言おう。エッちゃんは元気になった。夜にはぐっすりと眠るようになったのだ。僕はもうこれで十分だと思う。君の望みを言ってくれ」

トリコは答える。

「おっさんよ、俺は鳥目だ、今は外には出ることが出来ない」

「トリコよ、トリコ、ありがとう」

「おっさん、わかっちゃないな、俺は眠たい、寝かせてくれ」

「トリコよ、トリコ、ありがとう」

ユタカさんは軽い痛みを頬に感じた。弓形のキズは、頬につかなかった。

「同じことを二度言うな、次は土手っ腹に穴が空くぜ」

ススキダユタカさんの頬から、もはや血は流れなかった。文鳥のもの忘れが、トリコの若さを奪っていった。エッちゃんは少し強くなり、鉄をも通すトリコのクチバシは、ただのなまくらクチバシになってしまった。

文鳥ながらに強い彼は、もはやその翼で、ずっとずっと先まで飛んでいって、なにがあるのかを教えることなど、出来はしないと知ってしまった。

「トリコ、トリコ、それはいつ?」

「明日だ」

小鳥は大事なことをすぐに忘れてしまう。トリコは今日も小鳥であった。トリコは明日が今日の次にくるという、大事なことを忘れてしまう。

二人は仲良し、明日はこない。

もはやエッちゃんは、あのころの、なにものでもないエッちゃんではなかった。暗く狭い部屋から、神秘に満ち満ちた世界へと飛び出した。そのころトリコの強い翼はトリカゴの中で弱ってしまい、コトリ・コ・トリコ、強い鳥であった彼は、ただの居眠り文鳥になってしまった。

夢の中では明日がきた。

トリコは飛んだ。どこまでも羽ばたき、全てをはるか遠くにおきざりにしてしまう。

目が覚めると、トリコはついさっき見たばかりの夢を、全て忘れてしまう。トリコはどこまでも小鳥だった。

本当の明日は、突然やってきた。

エッちゃんはトリコを見ていた。トリコはエッちゃんを見ていた。

「エッちゃんよ、俺はすっかり居眠り文鳥になってしまった」

「トリコ、あなたは空の果ての果て、ずっと遠くへ飛ぶんでしょう」

「エッちゃんよ、俺をみくびると土手っ腹に穴が空くぜ。そろそろ俺の明日がきたみたいだ」

「トリコどういうこと?」

「俺を慰めるなんて、ずいぶん強くなったもんだ。エッちゃんよ、俺は眠るよ。たくさん眠る。そうしてどこまでも羽ばたき、エッちゃんやユタカさん、そうしてトリカゴも世界も、はるか遠くにおきざりにしてしまうんだ」

エッちゃんは唄う。声を張り上げ、トリコを引き止めようとエッちゃんは唄う。

「コトリ・コ・トリコ、世界一、七色の鳥、強い鳥」

二人は仲良し、明日はこないはずだった。

「無駄だ。エッちゃんよ、もう誰も俺を引き止めることなんて出来やしない。邪魔する奴の土手っ腹には穴が空くぜ」

その時、ススキダユタカさんは全てを悟り、別れの近づいたことを知った。

「エッちゃん、明日はきてしまった、トリコにさよならするんだ」

ユタカさんはトリカゴを開けた。

「コトリ・コ・トリコ、強い鳥、どこまでも飛んでゆけ、エッちゃんも僕も、そうしてトリカゴも、みんなみんな、はるか遠くにおきざりにして、どこまでも飛んでゆけ。邪魔する奴の土手っ腹には、穴を空けてしまえ!」

コトリ・コ・トリコ、世界一、七色の鳥、強い鳥、それきり目を覚まさず、どこまでも飛んでいった。

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